戦闘モードから、銭湯モードまでの話

ロードバイクに乗るときは冬なら、パッド付パンツにアンダーアーマー、ウィンドブレークジャケット、ウィンドブレークタイツ、シューズカバーとフル装備だ。

まだ、自転車ウェアのド派手なカラフルは恥ずかしい私はすべて黒で揃えている。フル装備を身にまとい黒づくめになると、さながら帝国軍のタイファイターのトルーパーさながらのパイロットスーツ。いざ、出撃の戦闘モードに自然と相成ります。

よし、やるぞという前向きな気分や高揚感に身を委ねるのは意外といいものです。

仕事や家事ではなかなかこの気分に到達しない。でも、これらも専用のスーツや道具があればいいのかもしれない。ユニフォームや、匠の作った庖丁を持つと視界が変わる気がする。

こう形から入るのは決して悪くないと思います。気分を作る、特別感を作るのは、モチベーションコントロールとしては高度な手法かもしれません。

パイロットスーツに身を包み、愛車ピナレロに跨がれば、もはや、敵地に攻めいる合図を待つばかり、家を出てガーミンがGPSを拾った電子音が耳に飛び込むや否や、クリートにビンディングを踏み込み、カチャリと音を響かせる。

まだ、疲れもなく、気力が充実した体が両足を回し、ペダルから、ロードバイクの効率的メカニズムでタイヤへ、そして大地へ力を伝え、前へと進み出す。

交互にリズミカルな運動を続ければ、ロードバイクは自分の行きたい方角へと僕を運んでくれる。

「敵は多摩川にあり!」

と鼓舞すれば、血流が身体中を巡り、足軽たちがペダル、両腕がハンドルを切る。

無事帰ると約束し置いてきた幼子を頭の片隅に引きずりながらも戦場へ進み続ける。

現代のメカニカルな馬は疲れない。疲れるのはいつも自分である。戦闘モードに入り、集中しているとはいえども、限界が必ず目の前にやってくる。しかも、割りと突然。

そして、猛り狂う戦闘モードから、徐々に生命維持モードへ移行し、ただペダルを踏み続ける。心はやがて無になり、体と無言で対話する。

生命維持モードをしばらく続けているうちに、なにかの拍子に生き返ることがある。まだまだ踏める!

調子にのってスピードをあげると、それが勘違いだったことにすぐに気がつき、そして、足が売り切れ、ゾンビモードに突入。

ゾンビモードに入ると意識は外界の遮断され、果てしない自己のイドの奥へと込んでいく。足は惰性と慣性で回り続け、体が覚えているルートを進み、反射神経のみで障害物を避けて進む。生きていた時の記憶だけで、動いているまさにゾンビ。

時速20kmくらいは維持できているが、まぁ遅い。

ゾンビモードを過ぎてしまえば、もう、あとは止まるしかない。しかし、とまらない。止まりたくない。止まると休めるが、重さを感じてしまう。一度、重くなった体を意識してしまえば、疲れが堰を切ってあふれだし、もはや「つらい」自転車になる。そして、止まってしまえばしばらく動くまい。

だから、ゾンビモードのまま家まで目指す。せめて、限界を超えてあともう少しのところまでたどり着き、小さいながらも暖かいコンビニエンスストアまでたどり着いて暖かい食べ物を少しばかり食べよう。

などと考えているうちに、どうにかたどり着くものである。たどり着いてしまえばもうあとはこれからどうしようと考え出す。お食事モード、お茶モード、一服モード、その時の気分によっていろいろなモードに移行するが、休日のロングライドの後、家に着き、コクピットスーツを脱ぎ捨てて丸裸になれば、自然と「銭湯モード」に入っていく。

銭湯にいき、湯船に浸かれば、天国モード。

Route92

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