自転車は乗っても乗っても、なかなか速くなった!と実感が持ちにくい。いつも、走り始めから坂にさしかかるだけで、普通にしんど!と思う。平坦をのんびり走るだけならしんどくないのに、坂だけはしんどいまま、しかも遅い。
主戦場の多摩サイにいくと大体往復60km走るが行きはまだまだ残りは長く、帰りはいよいよ足が重い。単独で走っていることが多いので、ずっと自分の体と無言の対話をし続けるだけ。なぜ、私は、寒空の下、自転車に乗って、とくに目的地もなく、多摩川の端まで行って帰ってくるだけの道のりを必死こいて走っているのだろうか。自分の行動の動機が分からなくなる、しかし、走りにいく、そして、またなぜ走っているのか分からなくなる。まさに無間地獄。
自転車の世界では、地獄の沙汰も個人の足次第。健脚、剛脚のみなさまが羨ましい。貧脚でならしているロードバイク歴3ヶ月ほどの私の地獄も、皆様にとってはただただ楽しい自転車も、私にとっては三途の川を渡っているようなもの。もう対岸の地獄は目前である。
背中越しの天国
そんな私も、ごくたまに友人と多摩サイを走ることがある。一人で走っていると空気の壁や、向かい風はすべて敵だが、人の後ろについて牽いてもらうとこんなに楽に走れるのか。時速30kmにもなると一人の時とはもう雲泥の差である。三途の川を逆戻りし、天国への階段を上っているような感覚。ヘブンズドアーはもう目の前なのである。
といいつつも、牽き続けてもらえるわけでもなく、前に出ろと促される。天国への階段から転げ落ち三途の川に真っ逆さまである。歯を食いしばり、必死の形相で、数百メートル轢いたのち、もういいでしょと足を緩める。
そして、天国への階段を再び上る。
天国はここにあったのです。
Route92